
アッシジまでの長い道のり
日本からアッシジまでの道のりは、予想をはるかに越えて長かった。今は、ロシアが戦争しているため、ヨーロッパまでの直行便は例外もあるけど極端に少ないので、エミレーツ航空で日本-ローマ間を約22時間かかって運航した。かつての直行便だったら10時間くらいだったものが、トランジットも含めて結局倍以上かかったことになる。ふうっ!
練習開始
アッシジの丘と街
7月18日木曜日20時。聖フランシスコ聖堂の若いカペルマイスター(音楽主任)神父に案内されて聖堂内の修道院エリアに入り、練習室に行く。20時になっても誰も現れない。大丈夫かなあと思っていると、5分から10分遅れて、ぞろぞろと楽員達がやってきた。なるほど・・・これがイタリア時間というやつだね。
楽員は8人(1Vn. 2Vn. Va Vc. Cb. Fl. Cl.、それと志保のピアノ~でも今日と明日は残念ながら電子ピアノ)で、みんな基本的には優秀なメンバーだ。しかしながら、日本の楽員と違うところは、平気で休みの小節を数え間違える・・・というか、そもそも真面目に数えていないで、曲想を聴いて、きっとこの辺かなと思って(どんぶり勘定で)入ってくるが、僕の曲ってイレギュラーだから、だいたいハズれる。なので、僕はほとんど全てのアインザッツを与えてあげるし、うっかり入って来そうな奏者には掌を立てて「待て!」の合図をする。こういうことに関しては、昔二期会でも新国立劇場でもプロンプターをやっていたのが役に立っているなあ。
彼らは音の間違えも平気でする。でも、それらを怒ったりせず根気よく丁寧に直していくと、しだいにみんなの視線に尊敬の眼差しが混じってきて、約15分後には、練習場はかなり好意的で明るい雰囲気に包まれた。
って、ゆーか、彼ら、もしかしたら、
「この人に任せておいたら、全部合図くれるから、今後も別に休みの小節数えなくても、いんじゃね。楽ちん楽ちん!」
なんて思ってるかも知れない。ま、いっけどね。僕も、別に彼らより優位に立とうなどとは考えてもいないので、冗談も交えながら和やかに練習を進めて行った。
その内、彼らもだんだん間違えなくなってきた。まあ、考えようによっては、機械的に小節を数えるより、曲想を理解して入ってくる方が音楽的かも知れないなあ・・・と・・・おっとっと・・・僕も彼らに洗脳されたのかも知れない。
始まったのがすでに20時なので、終わるともう23時。なかなか日本ではない時間帯だよね。ホテルに帰って、すでに買ってあったビールとワインを飲みながら、ブレッツェルやグリッシーニをつまむ(ブレッツェルって、ドイツの食べ物だけれど、イタリア人が好きみたいで、どこのスーパーでも売っている)。ベッドに入ったら、次の瞬間、もう朝だった。
朝の聖フランシスコ聖堂
(写真提供:川名裕子様)
いよいよ合唱団との合わせ
7月19日金曜日。20時から、本番で使う聖フランシスコ聖堂の上部の祭壇で、いよいよアッシジ祝祭合唱団と楽器奏者達との合わせ。バジリカ(聖堂)内は、メチャメチャ残響が多いので、よっぽど歌詞をしっかりしゃべりながら歌わないと、何も理解できない状態になるので大変だ。同じようにアコースティックな関係で、気を付けていないと、合唱とアンサンブルがズレるだけでなく、合唱の中でも端と端のソプラノとバスが平気で1拍近くズレる。聖堂だから仕方ないけれど、演奏会場とするとかなり難しい条件だ。
ゲネプロの状況
7月20日土曜日。19時から20時30分までゲネプロ(総練習)で、21時から演奏会だって。ゲネプロが1時間半しかないので、とても通すことはできない。しかも、合唱団には控え室というものはなく、トイレも使えないという。
何故なら、本来聖堂の前部から奥の空間は、基本的には聖職者のみのエリアで、コンサートの本番で出てくる直前以外は、本当は一般人は入れないのだ。合唱団には、聖堂の前の通りのBar(バール)に特別にトイレを借りてくれているという話であるが、ひとりひとり入るのでなかなか大変だ。
それを知っていた僕は、前の日にみんなに言っていた。
「ゲネプロは、この時間では勿論通すことはできないので、難しい箇所だけピックアップでやって、出来れば7時15分、遅くとも7時20分には終わろうと思っています。ゲネプロを本番の衣装でやることになっていたけれど、暑いのでやめましょう。ちなみに僕自身は、ゲネプロはTシャツでやって、一度ホテルに帰り、着替えて、ゆっくりトイレに入ってから戻ってきます」
このゲネプロで、志保は初めて本番のピアノを弾くことができた。やっぱり電子ピアノとは存在感がまるで違う。特に僕は、かなり華々しくピアノを浮き立たせて作曲していたので、他の奏者達は初めて実際のバランスを知って驚いていた。
そして迎えた本番
本番で僕は、曲の合間にイタリア語のスピーチをしたので、指揮よりも、そっちの方が緊張した。でも、そのスピーチを聴衆が結構喜んでくれたようである。演奏が終わると、前列の方に座ってくれていたお客さんは、スタンディングオベイションで応えてくれた。嬉しかった。
そうして演奏会も終わりに近づいて来た。聖フランシスコを心から尊敬し、洗礼名にもしている僕が、アッシジ祝祭合唱団を日本で組織し、練習を積んで、アッシジの聖フランシスコ聖堂で、自分の作品だけで演奏会を開く。まるで夢のようなことが実現している。その感動が僕を包んだ。
帰り支度をしていると、クラリネット奏者が僕の方に近づいてきて言った。
「僕は〇〇大学に教えに行っているんだけど(彼の名前でネットで調べてみたら多分ピアチェンツァ大学)、学生達に君のMissa pro Paceを是非やらせたいと思っているんだ。それで、もし可能ならば、来年あたり教えに来てくれないかな?」
「勿論、喜んで!」
「じゃあ、君のメルアド教えてくれる?大学と話をしてから必ず連絡する」
「分かった!待っているよ!」
やった!どんなお褒めの言葉よりも、こうした実質的な話は嬉しいな。賛辞にはお世辞が混じるかも知れないけれど、こういう話は、本当に僕の曲や指導を気に入ってくれないと絶対に出てこないからね。
まあ、実際の話に入ったら、互いのスケジュールの関係などあって、本当に実現するかどうかは分からないが、とにかく嬉しいのは、この演奏会によって、このように心が動いてくれる人が出てきたということ・・・とはいえ、可能なら是非、もう一度イタリアに来て、イタリア人の学生達と一緒に音楽を作り上げていく経験をしてみたい。だいたいさあ、僕のノリって絶対イタリア学生達と合うと思うよ。
Concerto合唱メンバー
CafeMDR「今日この頃」(2024.7.29) より抜粋
演奏会当日のプログラム
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