

Il Cantico Delle Creature (被造物の賛歌)
しかし、何よりも重要なのは、1225年の冬から春にかけて、この地で、病弱となり、聖痕によって磔にされ、太陽の光にも火の光にも耐えられないほど目を病み、ベッドの上でネズミに苦しめられながら、フランチェスコが 50日間以上、この家の片隅にある小さな畳敷きの小部屋に閉じこもったことでした。そして、不安と興奮に満ちた夜を過ごした後、翌朝、彼は救いを保証してくださった主を讃え、 兄弟太陽の賛歌、救われた創造と普遍的な兄弟愛の賛歌である「創造物の叫び」を作曲し、歌うことで、イタリア語に 洗礼を施しました。まさにこの 地で、賛歌が誕生したのです。
このようにして「被造物の賛歌」は生まれました Cosi nasce il Cantico
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三澤洋史サン・ダミアノの奇蹟
本番のある20日の昼、僕は妻と二人で、まず聖キアーラ教会に行き、それから聖フランシスコが初めてイエスの声を聞いた貴重な教会、サン・ダミアノ教会を目指す。市門を出て、オリーブ林に囲まれた下り坂の小道を妻と二人で散歩する・・・というと、のどかな感じがするが、実はとても暑い。勿論日本のようには湿気がないのでマシだけれど、照りつける日差しの強さは日本よりずっと強い。坂をずっと下っていくと、懐かしい教会が見えてきた。
最初にここを訪れた時は1982年の春休み。ベルリンから電車を乗り継いで、ミュンヘン~ミラノ~ジェノヴァ~ローマと行き~アッシジに寄って~ヴェネツィアを通って帰って来た大旅行だった。そんなこと、若かったからできたんだね。
サン・ダミアノへののどかな道
で、その時、このサン・ダミアノで、シスター達の群れに出くわした。当時まだイタリア語は全然しゃべれなかったんだけれど、その中にドイツ語を話すウィーン出身のシスターがいたので、ドイツ語で話しをしたんだ。僕の霊名が聖フランシスコだと言ったら、彼女は妻の方に向かって、
「では、あなたはクララ(キアーラ)なの?」
と訊いたので、妻は恥ずかしそうに、
「いや、残念ながらそうじゃないんです」
「あら、じゃ誰?」
「アンジェラ・メリチです」
その瞬間、シスター達の動きが止まり、真剣な顔をしながら互いに目を合わせている。
「あたしたちね、ウルスラ会(アンジェラ・メリチが作った修道会)なのよ」
こういう偶然がサン・ダミアノでは普通に起こるのだ。
2度目に訪問したのは、娘二人がパリに留学していた時、家族4人でパリからローマに飛んで、アッシジ~ローマ~ナポリ~ソレントまで足を伸ばしたが、サン・ダミアノを訪問した時には、なんと美しい虹が空に架かっていた。
さて、今回であるが、ある二つの掲示板に、僕も作曲したCantico delle Creature「被造物の賛歌」のことが書いてあったので、写真を撮って、後で訳してみたら、驚くべき事が分かった。(*1,*2)
2006年サンダミアノにかかる虹
このようにして賛歌は生まれた (*1)
(画像クリックで拡大表示) 追加されたふたつの詩句 (*2)
(画像クリックで拡大表示)
つまり、聖フランシスコは、賛美なんてとてもできないような、実に壮絶な状態の中で、
| Altissimo, Onnipotente Buon Signore, | いと高き、全能の善き神よ | ||||||||||
| tue sono le lodi, la gloria, | 賛美と栄光とすべての祝福は | ||||||||||
| l'onore e ogni benedizione. | ただあなたのもの | ||||||||||
と、この賛歌を口ずさみ出したということなのだ。まさに最晩年の、彼の死に至るまでの状況の中で、まるで絞り出すように生まれた祈りだったのだ。
それを知った時、僕は何も知らないで軽はずみな気持ちで作曲をしたのかも知れないと、自分を悔いた。しかしながらね・・・・その晩の演奏会で、僕はこの曲を指揮しながら、別のことに気が付いた。
「確かに僕自身、表面意識ではよく分かってはいなかった。けれども、作品自体は決して軽はずみになんか作られていない。僕の曲はその時、まだ無知な僕の手を通して書かれていたが、作品そのものは、もっと深いところから流れ出て来ている。そして真実の世界に触れている。そしてそれ自体に僕も感動させられていたんだ」
僕は、うぬぼれて言っているのではない。むしろこのうえなく謙虚な気持ちになっている。
マリアさまも言っているだろう、
身分の低い、この主のはしためにも
目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人も、
わたしを幸いな者と言うでしょう、
力ある方が
わたしに偉大なことをなさいましたから。
この謙虚さこそが、僕が今回サン・ダミアノからいただいた奇蹟である。
サン・ダミアノ中庭
(*1)このようにして賛歌は生まれた
「被造物の賛歌」は、聖フランシスコの最も有名な祈りです。まるで聖人が、彼の人生の幸せな時期に、ウンブリア平野の美しい風景が彼の眼や心を観たし、自然に詩句が浮かんできて書き記されたかのように感じられますが、実はそうではありませんでした。
1225年の冬、フランシスコは、サン・ダミアノに50日以上滞在しました。彼はすでに聖痕(キリストが受けた5つの傷跡)を受けていました。ほとんど盲目で、かつ目に激痛を感じていて、太陽や火の光などにはとても耐えられないほどでした。
ブラザー達は、彼のために建物の片隅に小屋を建ててあげました。しかし、そこはとても荒れ果てていて、ネズミがあたりで飛び跳ねているような所で、哀れなフランシスコは、食べることも眠ることもできませんでした。
ある夜、フランシスコは主に祈りました。
「来てください、主よ。私を病気から救ってください」
すると霊は彼に答えました。
「喜びなさい!そして、あなたがすでに私の王国にいるかのように、晴れ晴れと生きなさい」
朝、彼は起き上がり、仲間達に言いました。
「今や、私は、とても喜ぶべきなんだ。だから新しく『全ての被造物と共に主を讃える』賛歌を作るんだ。この賛歌なしには『恩知らずな』我々は、生きることはできないんだ」
そして、位置について祈り、集中して言い始めました。
「いと高き全能の、そして善なる主よ・・・」
この言葉にはメロディーが付いていましたが、今日それは失われてしまいました。
彼は仲間達に、
「世界中に出掛けて行って、神を讃え、人々の心を慰めるように」
と教えました。
(*2)追加されたふたつの詩句
元の「被造物の賛歌」では、天と地にある被造物に関連する詩句で終わっていました。しかしながら、ある事情がフランシスコに「赦しに関する詩句」を追加させることになりました。
あることで、司教とその地方の司法長官との間で意見の対立がありました。清貧に生きるフランシスコは、彼らの和解を見るまでは、自分は死ぬことはできないと思いました。
「それは我々にとって大きな恥だ。神から任命された立場にある者が・・・」
フランシスコは感情を露わにし、ブラザー達の方を向いて言いました。
「司教と司法長官がこのように憎しみ合っていて、どちらの平和や融和に還ろうともしないとは」
そこで、何人かのブラザーに新しい詩句を持たせて、対立するふたりが仲直りするようにと送らせました。ふたりは、これらの詩句に触れて、フランシスコの気遣いに感動し、とうとう和解することができたのです。
その後、フランシスコは、自らの死の時が迫っていることを感じ、すでに病気で衰えた体にもかかわらず、もうひとつの詩句を加えました。それが「姉妹なる死よ」という詩句です。
そしてブラザー達に歌ってくれるよう望みました。ポルチウンクラ(フランシスコが最初に兄弟的生活を始めた場所でもあり、亡くなった場所でもある)で、彼が裸になって大地にそのまま横たわった時に。
このふたつの詩句は、「ただ追加されただけ」というのではありません。神に対する賛美のモチベーションは、“天地創造という事業を我々が受ける”ところから始まり、そして(天地創造が)人間存在の創造に辿り着くことなしには、完結することはないのだということです。
三澤注:神が人間を創ったのは、神の天地創造という業を見届け、自分の自由意志を持ってそれを賛美してくれる存在が欲しかったから、という考えが元になっている。
CafeMDR「今日この頃」2024. 7.29より