HIROFUMI MISAWA Assisi 2026


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 作品解説
「イタリア語の3つの祈り」
  
三澤洋史  

プログラム原稿
 12月13日日曜日第62回東京大学音楽部コールアカデミー&第6回東京大学音楽部女声合唱団コロ・レティツィア合同定期演奏会
第3ステージ Le Preghiere Semplici 「イタリア語の3つの祈り」

 この原稿を書いている数日前、パリでイスラム過激派による大規模なテロ事件が起きた。コンサート会場では無差別な銃乱射が行われ、市内では同時多発的に自爆や発砲が相次いだ。ISが犯行声明を出し、そして米仏両国はただちにISの本拠地であるシリアへの空爆を開始した。世界が、ますます平和から遠のいてゆくことを思って、僕は深い悲しみとやりきれなさ、そして、そんな時代に生きている自分の無力感を感じている。

 ニューヨークで9.11が起き、その報復の意味も込めて米軍主導によるイラク戦争が勃発した。その時、テレビに映し出されるミサイルのピンポイント攻撃の映像を見ながら、僕は漠然とした不安を感じていた。圧倒的な武力の差にイラク軍は為す術もなかった。しかし、このあまりにもスマートな爆撃の映像の下で、憎悪をたぎらせているであろうイラク人達を思う時、これがそのままで済むはずがない、と確信していた。その予感の通り、地下に沈潜した憎悪は、ゾンビのように甦り、今世界を震撼させている。僕達は、出口の見えない穴倉の中をあてどなくさまよっている。

 主よ、私をあなたの平和のための道具とさせて下さい
 憎しみのあるところに愛を
 侮辱のあるところに許しを
 対立のあるところに一致を
 疑いあるところに信ずることを etc.

 この「聖フランシスコの平和の祈り」が空しく聞こえてしまう。今、世界は、この祈りの正反対の状態である。愛どころか地は憎しみに覆われ、許しどころか侮辱を与え合い、一致どころか対立はますます強まり、互いを信じられるすべを持たない。 こんな時に祈っている場合か、という意見もあろう。でもそれ以外に何が出来る?病に苦しむ我が子の前の母に何が出来るのかと問うのと一緒だ。祈る以外に何が出来るのだろうか?この弱き被造物に。

 「イタリア語の3つの祈り」を作った時、こんな風に、祈りというものの意味を根本的に考える状態に追い込まれようとは夢にも思わなかった。しかしながら、今あらためてこの3曲の祈りに向き合ってみると、イエスが我々に与えた「主の祈り」も、第3曲目の「アベマリア」も、教会の歴史における長い風雪に耐え、様々な戦乱や悲惨さの中で必至に祈られ続け、今日に至っていることに気が付く。だからこそ、これらの祈りの言葉の中には、磨き抜かれたパワーが宿っているのだ。
 「平和の祈り」を、僕は火のような情熱的な音楽で彩った。それは、平和を実現するためには、よほどの強い意志と情熱がなければ成し得ないことを示す。だが同時に、最終的な平和に到達するためには、聖母マリア的な母性が必要だとも思う。母性は、全てを受け容れ包み込むが、その癒しの中で我々は情熱と力を育むことが出来るからだ。

 祈ろう!祈ろう!祈ることしか出来ないからではなく、どんな無力感の中にあっても、少なくとも僕達は祈ることができるから!そして、祈りのもつ力を信じているから。 世界に平和が来るまで、祈って、祈って、祈り続けよう!
CafeMDR「今日この頃」(2015.12.14)より抜粋、作品名改定
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イタリア語の3つの祈り Tre Preghiere in Italiano
1.主の祈り    Padre Nostro
 イエス自身が、私達にどう祈ったら良いか教えてくれた「主の祈り」は完璧な祈りだと思います。まず天上の父なる神に思いを馳せ、それから我々の日常に触れ、罪からの解放を希求します。私は穏やかな曲想で彩ってみました。
2.聖フランシスコの平和の祈り Preghiera Semplice
 「主の祈り」と対照的に、「平和の祈り」では、私は聖フランシスコの溢れるような情熱を表現してみました。「憎しみあるところには愛を」という言葉を、単にきれいごとで終わらせることなく、世界が本当に平和になるまで、私も全力でこのメッセージを伝えたいと思います。
3.アヴェマリア Ave Maria
 バスの声部には、ラテン語のアヴェマリアが通奏低音のように流れる中、上の声部ではイタリア語でつぶやくように歌われ、同時進行するのが魅力です。中間部では、「今も死を迎えるときも」という言葉にやや切羽詰まった表現を施しました。
(「アッシジ祝祭合唱団国内演奏会プログラム」三澤洋史 2024.6.8 より)
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